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1.言語の起源を再検討する (1)「言語遺伝子」の発見(2)ミラーシステムの進化 (3)言語の身振り起源 (4)段階的な脳進化 (5)デュエットの進化 (6)全体から部分へ (1)「言語遺伝子」の発見 そもそもの発端は、KEというイギリスの遺伝性の言語障害のある家系の調査に始まる。3代、20名以上の一家系のメンバーを調べてみたところ、およそ半数に生得的な発話障害が見出されたのである。また名詞を提示して、それに関連する動詞を答えさせる(例えば、「鳥」に対して「飛ぶ」)、動詞生成課題にも困難を覚えることが判明した。そこで、家系内で障害のある者とそうでない者に二分し、遺伝的スクリーニングを実施した結果、浮かび上がったのがFOXP2であった。 そののちゲノム分析によって、遺伝子のDNA配列も決定された。チンパンジーやゴリラなどとの比較によると、遺伝子が現在の形をとるようになったのは、ごく最近のこととされている。計算によると、1万から10万年前の間の公算が強く、どんなに大きく見積もっても20万年をさかのぼることはない、という説が有力である。 人間の祖先がいつの時代に今日の形式の言語を獲得したかについては、意見が大きく分かれている。10万年にすぎないという主張や、舌下神経の太さの計測から、30万年とする研究など百花繚乱であったが、遺伝学的知見はネアンデルタール人が我々のようには話せなかったであろうという方の可能性を支持している。少なくとも調音(articulation)は無理であった。子音の要素は不明瞭な、単純な音の表出段階にとどまっていたのではないかと考えられる。 FOXP2が、脳の細胞構築上のどの部位に発現するかについても、重要な事実が明らかになってきている。ブローカ野(右利きの場合は左半球に局在する)および、その右半球相同領域、そして両側の頭頂葉縁上回が主要部を占める。このうちブローカ野が言語活動にはたす役割の、重要性については今さら、言及する必要はないだろう。縁上回は、音韻情報の短期貯蔵を実行する部位と考えられている。その活動によって初めて、耳から入った情報の心的リハーサルが、可能となる。障害が生ずると、ワーキングメモリーが機能不全を起こし、言語的情報処理が支障をきたすことが判明している。
ブローカ野と運動前野は元来、主体の運動に関与して働くものとされてきた。ところが、他者の運動を知覚するだけでも活動することが報告された。具体的には手を伸ばす、足を蹴る、口をもぐもぐ動かすというようなしぐさをみせると、賊活が見られる。あたかも自分自身が、同じしぐさを実行しているかのように。いわゆる運動系のネットワークが作動するのである。 ギブソン流の表現をとるなら、アフォーダンスを知覚するということになるのだろう。単に動きを動きとして把握するにとどまらず、「それが何をしているのか」という意味を理解する時、我々は自分の行動レパートリーに準拠して解説を行う。他者意識は、身体性を基盤にスタートする。そして、そこにブローカ野が入り込んでいる事実を、ミラーシステムの知見は教えてくれているのだ。 しかも、行為の意味理解は、実は、人間がことばの意味をカテゴライズする作業と密接に結びついている。私たちが、1個の球体を目にして「ボ−ル」という音の配列を耳にしたとしても、それが対象のどういう属性に対応しているのかということを適切に把握することは、理屈の上ではほとんど不可能に近いはずである。にもかかわらず子どもは、けっこう効率良く、含意するカテゴリーの絞り込みを行っていく。そこには、ことばを教示してくれている他者の対象をめぐる行為の情報が関わっている。 つまり、相手が対象といかに関係しているかを観察し、その働きかけを自分自身の身体に引き移した上で、新奇なことばの意味を認識しようとする。それゆえ、もしミラーシステムが存在しなかったならば、人間はとても今日のような膨大な語彙を個々人で習得することはできなかっただろうし、運動性の言語中枢がシステムに組み込まれているのも、言語の進化を考える際、決して偶然の結果ではなかったと類推せざるを得ないのである。 (3)言語の身振り起源 手話研究からの知見も、それに拍車をかけることとなっている。かつては手話など、人工的に考案された動作やパントマイムの組み合わせにすぎないと誤解されていた。けれども実際には、すべての人間に一定の環境の下では、言語的表出を手によって実現し、視覚的に処理する資質が付与されていることが明らかとなってきた。 ヒトのミラーニューロンと相同なものは、ヒト以外の霊長類でも存在が知られている。直立二足歩行が始まった段階で、前肢は歩行から解放された。人類の祖先が立ち上がったのは、数百万年前にさかのぼる。他方、FOXP2の出現が数十万年前にすぎないのならば、両者の間の時代に祖先は、どういう形のコミュニケ−ションを行っていたのかが、問題となる。 一次的な機能を持たない手や顔の動きを、共有していたと想像するのはあながち、無理なことではないかもしれない。言語をあやつる能力というのは社会性に裏打ちされている。しかもそれは同時に、身体性に裏打ちされている。身振りが音声に比して、言語の起源として歴史的に先行していたか否かの議論は別にして、前者を実行するメカニズムを抜きに現在の言語行為が成立しないことに、疑問の余地は少ないと思われる。 ただし音声モードに依存した形態のコミュニケーションへと、一気に傾斜していった素地として初期人類が、すでに登場の段階で極めて豊かな聴覚感受性を有していたことにも、疑う余地はないだろう。すでに真猿類においてすら、メロディ一様の音のパターンの特徴を抽出できる能力の萌芽が見られるのだ。それは明らかに、現在の人間に備わっている言語情報処理能力の先がけとなすものと考えられる。 言語遺伝子の話題に戻るならば、FOXP2の欠落によって引き起こされる言語障害は主として、運動性のものであることに留意しなくてはならないだろう。他方、失語症にもそれとは別の、感覚性のものも存在することが、よく知られている。それは、ウェルニッケ野の損傷によって引き起こされる。だが、FOXP2はウェルニッケ野の構築には、直接の関与はないか、あってもブローカ野に対してとは比較にならないほどの小規模であると考えられている。 (4)段階的な脳進化 ウェルニッケ野、とりわけ側頭平面についても近年、興味深い知見の報告が相次いでいる。この領野は一次聴覚野の近傍に位置することもあり、従来は聴覚刺激に特異的に関係した機能を持つものと、とらえられてきた。しかし、先天性の聴覚障害者では手話のサインを視覚提示した際に、健聴者に音声言語を聞かせるのと同じように、賊活が見られる。さらに意味のあるサインでなくとも、幾何学的なパターンであっても、時間的な規則性を伴って運動する刺激であれば全く同じように反応することが明らかとなってきている(2)。 刺激自体が、どういう感覚モードに働きかけるものであるかは、賊活の必須の要件とはならないのである。必須の要件は、刺激入力が時間軸に沿って、何らかの規則性を持った変動パターンを有しており、それを受け手が認知し得るか否かにかかっているらしい。 だから人類に限定するならば進化の初期において、この能力は直立二足歩行によって解放された手の動きに対応するものであったかもしれないし、あるいは調音は不可能で単純な音響特性であったかもしれないが、そういう音の時間的な連続発声に対応するものであったかもしれない。いずれがより真実に近かったかは、これだけでは決定することは不可能なのだ。 ただし、ヒト以外の霊長類においても、ヒトにかなり近似した音楽知覚が見られるとなるという事実は、もう一歩踏み込んだ示唆を与えてくれることとなる。彼らは、前肢が解放されていない。にもかかわらず類似の知覚様式が見られるということは、その機能は上述の可能性のうち、後者に対処するものであることを意味している。 つまり、感覚性の言語中枢の進化の背景には、ヒトが誕生する以前の霊長類に見られる音声コミュニケーションの多様化が関係していたと考えられる。従来、言語の進化は起源が身振りなのか、あるいは音声なのかといった二分法的な議論に終始してきた。しかし、段階によって起源となるものが異なる可能性も考えておくことが必要なように、私には思える。 それでは具体的に、ヒト以前の霊長類のどのような音声コミュニケーションの多様化が、その引き金となったのだろうか? といっても化石による証拠は、問いに対し何も語ってくれない。現生の霊長類の行動に、モデルとなりそうなものを求めざるを得なくなる。 では、どういう種のどういう行動がモデルになり得るかというと、テナガザルのデュエットと、その種間変異ではないかというのが、目下の私の仮説である。 ヒト以外の霊長類のなかで、ヒトにもっとも近縁とされる類人猿は、チンパンジー・ゴリラ・オランウータン・テナガザルに大別され、そのうちアジアに生息するテナガザルはさらに十種類ほどに分類されている。樹上性で、基本的に成体オス・メス1頭から成るペアと、子どもによって集団は構成され、非常になわ張り性が強い。 なわ張り宣言には、もっぱら音声が用いられる。これが有名なテナガザルのグレート・コール(great call)と呼ばれるもので、複雑な発声の組み合わせ(各々はノートと呼ばれる)が数分間にわたり発せられ、そうした一連の歌が数十分にわたり、毎日ほぼ同時刻に反復される。 歌のパターンは、それぞれの種によって特異的であるとされ、遺伝情報によって厳密に規定されているとみなされている。また一連の組み合わせのどのパートを、ペアのうちのオスとメスがそれぞれ担当するかも、明確に定まっている。両者が時間軸にそって、非常に規則的に自分のパートを受けもつことによって、精妙なデュエットが形づくられている。そして、どういう形式のデュエットが実行されるかも、種ごとに異なり、かつテナガザルが進化を遂げると共に、一定の方向へと変化してきたと考えられるようになってきている。 最も原初的なデュエットは、オスとメスの両者が全く同じ一連の歌を唱和するというものである。つまりA−B−C−D−‥と、違う発声が順次展開していくのだが、それをオス・メスが同じように合唱していく。ところがやがて、おのおのが別々のパートを歌うようになってきたらしい。しかも、互いのパートは重複しない。すなわちオスがまずAのパート歌う。歌い終わると、メスがBを歌う。そののち再びオスがCを歌う‥−というような行動が進化したと想像されている。 しかもAからB、BからCへのバトンタッチは絶妙なタイミングでなされる。人間が聞いている限り、複数が別々に声を出しているとはとても思えないほどである。このデュエットの移行現象を、研究者は「歌の分割(song splitting)と呼んでいる。 最初はいったん歌い始めるや、A→B→C‥とすべて順を踏んで続けるしか術を持たなかったのが、部分部分を切り離して発声できるようになった。しかも、全体のなかでの個々のパートのあるべき位置を、認識している。 目下のところテナガザルが、デュエットを実行するにあたって、どういう脳機能が対応しているかについて、知見は皆無である。だが音声の時間的変化の知覚が、個々の歌を適切にうたうために不可欠なことを考慮すると、人間のウェルニッケ野に相当する箇所が働いている可能性は、かなり高いのではないだろうか。 (6)全体から部分へ 音の連続的な流れを、パートに分割して(すなわち分節化して)認識し、それを単独して再生してみせるようになった時、それは音声言語の流れからフレーズの単位を認め、一時的に情報を貯蔵するというヒト乳児の言語情報処理と、かなり近いものとなってくる。そしてヒト乳児の音声への選好傾向にも、ヒト以外の霊長類のそれと重複する部分が、かなりの程度に認められるのだ。 形態学的なアプローチから、テナガザルの発声を分析した時、どういう結果が得られるのかは未だ明かにされていない。ただ留意しなくてはならないのは、ヒトが言語を歴史的に獲得した際、それは音を組み合わせるようになったことを必ずしも意味せず、正反対に一連の流れを分かつ形で話すようになった可能性も無視できないということである。 現在のところ、リズミックな音の産出を動物は大脳基底核のような部位によって実行できることが判明している(4)。その機能が、先述のミラーシステムと有機的に連係するようになった段階で、随意的に発声できるようになったフレーズは、意味を持つようになったのかもしれない。意味とは、音を交換する者同士における、その音の理解のしかたが共有されるということにほかならない。それを促したのが公共的な 会話状況の創出であったと推測するのは、さして無謀なことではないだろう。 −引用文献− |
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