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京都大学霊長類研究所 > 年報のページ > 2004年度 > VIII 追悼

京都大学霊長類研究所 年報 

Vol.35 2004年度の活動

XII 追悼

竹中修 先生 (遺伝子情報分野 教授)

平成17(2005)年3月3日早朝,遺伝子情報分野・竹中修教授が亡くなられた.くしくも当日は定年退職を記念した国際シンポジウムが開かれており,竹中先生がその中で最終講義を行うはずになっていた日であった.生真面目な生化学者らしく常にスケジュールをメモしておられたことを思い起こすと,この日に亡くなられたのは決して偶然ではないという気がしてならない.とにかく最後まで全うして,長い研究生活の思いの丈を聞かせて欲しかったとも思うが,折から来日した近隣諸国からの友人たちに囲まれての旅立ちは,いかにも竹中先生の研究生活を締めくくるのにふさわしいものだったのかもしれない.

竹中先生が霊長類研究所に赴任されたのは1974年の1月である.新設された生化学部門の助教授だった.当時33歳.子供がいなかった竹中先生はマーサという名の小猿を飼っておられた.免疫系やヘモグロビンタイプの成長に伴う変化を調べるためであったが,跳ね回る小猿を抱いた姿を覚えている方も多いであろう.またニホンザルを乗鞍岳にまで連れて登ったり,アフリカに棲むヒヒの血液を用いたりして,高地適応の研究をしておられた.日本各地で行われていたニホンザル総合調査には欠かさず出かけられ,全国のサルの血液サンプルを集めておられた.竹中先生はその後,野外と実験室をつないだ研究,フィールドに出る生化学者として名を馳せることになるが,その志向性はこの当時からのものであったろう.

竹中先生の研究にとっての大きな転機は二つあったと思われる.一つは,1989年にインドネシアにおけるマカク属の種分化を研究する現地調査に参加されたこと,もう一つは1987年からいち早く取り組まれた父子判定の研究である.そのいずれもが竹中先生の霊長類研究所における位置,役割を決定的なものにした.外国における野外研究はその後インドネシアのスラウェシ,さらにはタイをはじめとする東南アジア全域,全世界へと対象を求めて広がっていったし,父子判定など分子マーカーを用いた生態学への応用研究は,霊長類の枠を超えて,他の哺乳類,両棲類,は虫類,さらには無脊椎動物へと広がっていった.1986年に確立されたPCR法によるDNA増幅技術は,明らかにこの分野への追い風となった.

竹中先生は,酒の好きな研究者だった.実験がうまくいったと言っては乾杯し,友人が来たと言っては宴を張った.難しいこと,説教じみたことは,決して言わなかった.あくまで楽しく陽気にという酒で,むしろ聞き役に回ることが多かったように思う.飲み仲間としては最高の部類に入るのかもしれないが,欠点は一つ,無茶苦茶酒に強いことで,いつも最後はこちらが酔態をさらす羽目になった.

竹中先生は,霊長類学会や雑誌「プリマーテス」の編集,各種国際学会・シンポジウムの開催等々,研究に付随する諸活動においても非常に重要な役割を果たしてこられた.特に平成10(1998)年から5年間続いたCOE形成基礎研究「類人猿の進化と人類の成立」では,その代表者をつとめられた.世界をまたにかけた,また多方面にわたる研究者とのつき合いが,そしてもう一つ酔ってなお乱れることのない友人知古との交わりが,こうした活動を支える基盤になっていたことは間違いない.

今になって思うのだが,ここ数年の竹中先生は明らかに疲れておられた.意のままならないこともあったろうし,COE研究以降の目に見えない重圧もあったであろう.毀誉褒貶は世の常である.人生に”もし”ということはありえないが,2〜3年の休暇をとって戻ってこられれば,退官するとはいえ,まだまだ活躍していただける方であった.何故か最晩年は死に急ぐかのように往ってしまわれた.それが悔しい.

昨今はゲノム科学が花盛りである.竹中先生のやってこられた研究は,それと近いところにいるけれども,視点はあくまで霊長類学であった.今後,この分野からどのような新展開が起こりうるのか.竹中先生がよく「哲学を持て」と言われていたことの意味を考えながら,後進の方々の奮闘を期待したい.

文責:渡邊邦夫

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