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京都大学霊長類研究所
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尾池和夫総長が屋久島観察施設を訪問しました。

京都大学霊長類研究所附属ニホンザル野外観察施設屋久島観察ステーションという研究施設がある。
  屋久島はニホンザル分布の南限で、海岸の照葉樹林から九州の最高峰にまでサルが分布している。野生ニホンザルの研究を中心に、霊長類以外の生物を対象とした研究もさかんである。
  2008年2月28日、鹿児島経由の空路で島に着いた。鹿児島空港では霧島の山々が目の前にくっきりと見えた。プロペラ機で屋久島に着くと、屋久島観察ステーションで仕事をしている杉浦さんが迎えてくれた。レンタカーを伊谷さんが運転して、いよいよ屋久島の旅が始まる。円形の島の周囲は約100キロ。今回の二泊三日の滞在では山地に入っていく時間はない。上から見て反時計回りに島の海岸に沿って廻る。
「昔は猿2万、鹿2万、人2万と言ってましたが、今は人は1万6千くらいですか」
  山極さんの説明が始まる。タブやガジュマルが茂っている。樹冠が10メートル足らずである。道の両側には石蕗(ツワブキ)とクワズイモが多い。自然食品の店がある。
「1970年代、ヒッピーがたくさんいました」

  宮之浦港をすぎ、宮之浦環境文化村センターに立ち寄って、屋久島の基本的な知識を得る。宮之浦岳が標高1936メートルで、九州の最高峰である。今でも隆起しているはずだが、いつの測定値かはわからない。
「シャクナゲは今年が表年です」
  詳しくはヤクシマシャクナゲである。ヤクシマキイチゴ、ヤクシマアジサイなど、屋久島の固有種がある。
  ホールで横20m、縦14mの大型スクリーンに迫力ある島の風景が映し出される。縄文杉はほぼ実物大に映し出されるという。
  いなか浜に降りて波打ち際に立っていると、目の前の硫黄島が活動して噴煙を上げた。貴重な一瞬を見ることができてうれしかった。左手に口之永良部島がある。
「口之永良部島、屋久島、種子島を結ぶ大きな円が、昔大噴火したカルデラの周囲です」
  この巨大噴火の影響は、日本列島にも、民族にも広く及んだ。
「開聞岳が見える」
  フィールドワークに鍛えられた目のいい人が見つけた。
「1000メートル以上の山々を奥岳と呼び、46の頂上群があります」

  いよいよ京都大学の屋久島観察ステーションである。北海道大学、神戸大学、奈良教育大学などから研究者や学生たちが来ている。今は8人がこのステーションを拠点にして島の中でフィールドワークに従事している。今使っている建屋の横に古い小さな一軒家がある。入り口には「屋久島野外博物館」と書いたサルノコシカケの表札が掲げてある。昔みんなで募金して、70万円ほどで建てたという。中の設備がしっかり充実している。
  つわのやに一泊した。

  三好和義写真集「世界遺産屋久島」(小学館、2000年)に、梅原猛さんは「屋久島は日本人の原点であり、魂のふるさとです」と書いた。梅原さんは1990年に屋久島を訪れ、縄文杉まで登ったという。「大変険しい道だったうえに、十二月のことで途中からは雪がうっすらと積もってすべりやすく、死ぬ思いをしました」と、写真集の巻末に収められた「屋久島に学ぶ」という文にある。「そうして五、六時間も歩いたでしょうか、縄文杉のもとにようやく辿り着いたときには、樹木の神々しさに打たれて立ちつくしました。縄文杉は、まさに神でした」と続けている。
「七千の齢に耐えし屋久杉は天に連なり身じろぎもせず」
  そのとき自然に口を衝いて出た歌だそうである。

  今回、私たちはその機会を持つことができないが、次はぜひ縄文杉を訪れてみたい。
  出版の時は京都大学生態学研究センターにいた湯本貴和さんの「森と水の島」という解説も、この本の巻末にある。
「前岳は照葉樹林という鬱蒼とした森におおわれていて、島民は精霊に失礼しないように十分に敬意を払いながらも、薪をとったり、炭を焼いたりしてきた。奥岳になると、そこはもう人間がみだりに足を踏み込んではならない精霊に満ちた恐ろしい神の園であり、立ち入るだけでも相当の覚悟を必要とした。いまでも、紫色の長い髪で笑いながら裸身で駆け回るという山姫や、白い髪の老人の姿で現れる山神(やまんが)を目撃したというひとが跡を絶たない」とある。
  やや引用が長くなったが、屋久島の第一歩の印象を、私が自分で書くよりは、これらの文章の方が、よほど深く伝えてくれるのはまちがいないと思う。
  日本は、そもそも降水量の多い国であるが、多雨で有名な大台ヶ原で年間降雨量は4000ミリ程度であり、この屋久島では、8000ミリ以上の雨量が山間部で記録されるというから、「屋久島には1年に400日雨が降る」と言われるのが分かるが、私たちはまだ雨にほとんど遭っていない。
  屋久島の降水量が多いことを、林芙美子は小説「浮雲」の中で「屋久島は月のうち、三十五日は雨という位でございますからね」と描いた。
  屋久島には九州の最高峰である宮之浦岳と海岸との間に、標高に対応して植生の垂直分布が連続して残されているという。
  湯本さんは解説の最後に、ユネスコ世界遺産委員会の提唱するエコ・ツーリズムを紹介し、「二一世紀は環境の時代といわれる。そのなかで屋久島は、聖地としての役割を果たすことが期待されている。わたしたちに課せられた責任は、限りなく重い」と結んでいる。この「わたしたち」は、京都大学生態学研究センターに席をおく湯本さんたちであり、「地球社会の調和ある共存」を基本理念に書き込んだ京都大学の私たちであり、地球に住む市民としての私たちでもある。

  2日目は西部林道を走った。一車線の道である。
「70年前は地道でした。斜面が急で猿を見つけやすいのです」
「いた、いた、いた」
  伊谷さんが叫ぶ。
「観音崎です。ここから先が調査地域です」
  また少し行くと、
「ここから世界遺産です」
「あ、今、ないてます」
「え?」
  まだ目も耳もベテランの彼らについて行けないが、雰囲気が出てきた。
  車を下りて植物を見る。
「芽輪(がりん)」があるのがタブの特徴です」
  山極さんが説明する。
  10時52分、「きゃっ」という声が聞こえた。ようやく屋久島猿の声を自分の耳で確認した。
「この辺からいるはずです」
  これは猿ではなく、調査している学生たちのことだという。

  手前に2匹、少し向こうに数匹、毛繕いをしている。2匹の方は雄同士だという。屋久島鹿も出てきた。小さい身体である。私もカメラを構えて、そっと近づいてみるが、気にしない様子で草を食べている。ほとんど2メートル足らずまで近づいて写真を撮った。
「猿と鹿と人とが一緒にいられる島です。西部林道を一車線にするよう頑張ったのは、京都大学の誇りとしていい世界自然遺産への貢献だと思います」
  松沢さんの説明である。健康長寿医学の松林さんも熱心に写真を撮っている。
  V字谷がみごとにできていて、頂上から海までほとんど真っ直ぐ続いている。
「それにしても根がむき出しになるまで崩れている」
「ここから少し明るくなります。伊谷先生たちが来たときから人が住んでいた地域です」
「それから50年ですね」
  土石流の跡に鹿と猿がいて、入れ混じって歩いて行く。気がついたら自分が彼らの輪の中に立っていた。近くで見ていて、猿も鹿も実に美しい。
  林道が終わってまた二車線になった。道にも猿が群れて座っている。栗生川の河口の店でおいしい蕎麦を食べた。
  15時過ぎ、中間(なかま)に着いた。ガジュマルのみごとな大木が並ぶ。
「これには沖縄で言うキジムナーがいるな」
「ここではゲジベーといいます」
  海中温泉があり、男女数人が入っている。満潮のときには使えないという。
  屋久島いわさきホテルの部屋に入ると、眼前にモッチョム岳がそびえている。その麓から扇状地が海へなだれこむように続き、昨年行った島原の眉山の景色によく似ている。ホテルの植物園を散策した。
  3月1日、島の東側へ。この地域は下生えが多い。鹿を撃っているから鹿がいないのだという。
  平野で「屋久然料理」というのを予約して千尋(せんぴろ)の滝を見た。
「ここは安房(あんぼう)といって、島で最初に開けた土地です」
  広い大地が海岸段丘の上に拡がっている。安房には、鹿児島県の屋久島環境文化研修センター、環境省の屋久島世界遺産センター、屋久町立の屋久杉自然館が並んでいる。屋久島環境文化研究センターを訪問した。数十人が研修で使える施設で、宿泊もできる。屋久町立屋久杉自然館では、屋久杉のことがたくさん学習できた。屋久島世界遺産センターには大きな地図に世界遺産の分布が示されているが、せっかくの世界地図に南極大陸がないということに不満を感じた。そもそもユネスコの地図に南極大陸がないからであろうが、自然を大切にするというなら南極大陸を忘れてはならない。
  茶屋「ひらの」で、卓上に並びきらないほどの皿で昼食をしっかりいただいた後、またプロペラ機で鹿児島空港経由で帰宅した。森と里と海と岩と猿と鹿をたくさん見て、それを研究する人たちの話をたくさん聞いて、そしてほんとに雨に遭わない3日間だった。
(尾池和夫、2月28日から3月1日の旅、京都大学メールマガジン、21号、2008年3月22日発行)