研究こぼれ話5

赤いサルと黒いサル
ネパールのサル狩猟民 ラウテ(Raute) 探訪

 

 

 文化人類学者の稲村哲也先生(愛知県立大学)から「ネパールにサルばかり獲って暮らす人たちがいるので会いにゆくか」と誘いをいただいたときは、半信半疑でした。この狩猟民はラウテ(Raute)族といいます。かれらはネパールの山岳地帯を移動し狩猟生活をしています。ですから、会うといってもどこにゆけば会えるか簡単でありません。日本ではテレビ番組で紹介されたことがあるようですが、外の社会との接触を嫌うので、その生活や習慣がよくわかっていない狩猟民だそうです。

 ネパールから留学し、稲村先生の指導を受けた国際学専門のカナル・キソル・チャンドラ博士がラウテを調査しています。2009年3月中旬、キソルさんと稲村先生に案内いただき、ネパール西部のスルケット(Surkhet)からラウテ探しの旅に出ました。悪路を走り、所在を尋ねながらラッカムという村の近くでかれらのキャンプを見つけました。


赤いサル(ラト バンダル)は、アカゲザル
【ネパールにて川本撮影】

黒いサル(カロ バンダル)は、アッサムモンキー
【ブータンにて大木義之氏撮影】

グナ バンダルは、グレーラングール(ハヌマン ラングール)
【ブータンにてTashi Dorji氏撮影】

 この旅で、ラウテに聴きたいことがありました。ヒマラヤの麓にあたるインド、ネパール、ブータンの山岳地帯には、マカク、ラングール、ロリスといった霊長類がいます。ラウテの暮らす地域にはアカゲザル、アッサムモンキー、 グレイラングール(ハヌマンラングール)、の3種類がいます。どの種類のサルを、どこで捕えているか、どんな捕まえ方をするのか、といった狩猟のことを知りたかったのです。それから、なぜサルしか狩猟しないのか、どうやって生計をたてているのか、どんな共同生活をしているのか、といった暮らし方のことも聴きたかったのです。

 研究の興味からいうと、ヒマラヤの山岳地帯に分布しているサルたちの成立の歴史や生態のことは、よくわかっていません。分類や現在の分布ですら不明なことが多く、2005年に、インド東北部のアルナーチャルプラデシュでマカクの新種 アルナーチャルマカク(学名でMacaca munzala)が報告されました。21世紀にもなってアジアのサルに新種が見つかったという報告には驚きました。いま注目しているのは、アカゲザルとアッサムモンキーがどのように棲み分けているかという問題です。どちらもニホンザルと同類でマカクというサルです。マカクの祖先たちがヒマラヤへいつ、どのように広がったかは、マカク全体の進化を考えるのに大事な問題です。ヒマラヤ地域のサルたちの分布や成立過程がわかれば、アフガニスタンから日本まで広がるマカクがどのように進化し、多様な種に変化していったかを理解する情報になります。

 ヒマラヤ山岳地帯にいるマカクの分布は不思議です。和田一雄先生によると、ネパールではアカゲザルとアッサムモンキーの分布が重なっています(Wada 2005)。しかしブータンではインド国境付近の低地を除けばアッサムモンキーしかいないようです(Kawamoto et al. 2006)。アカゲザルとアッサムモンキーが区別できているか、2種の分布の違いを知っているか、サルを狩るラウテに聴いてみたかったのです。

 宿営地を訪ねたところ、幸いにもラウテの人たちから答が聴けました。写真を見せると、3種類のサルを正確に区別していました。アカゲザルは『ラト バンダル(赤いサル)』、アッサムモンキーは『カロ バンダル(黒いサル)』と呼び分けていました。グレーラングールは『グナ バンダル』と呼んで、区別していました。3種類のサルのいずれも捕えていて、調理法を尋ねたところ、毛は焼き、皮つきで塩と唐辛子で煮て食べるとのことでした。


 黒いサルは高い土地に、赤いサルは低い土地に多いが、分布が一部で重なっているという話でした。この話から、ネパールの山岳地帯では、2種類のマカクが同所的に分布し、ブータンの分布とは違うことが想像できました。また、黒いサル、つまりアッサムモンキーが高地にいるという話から、ブータンの分布と似た性格があることもわかりました。これからもっと調べないといけないことですが、私はアッサムモンキーの方が古くからヒマラヤ山岳地域にいたと考えています。ラウテの話は、この仮説を考える助けになりました。

 キソルさんと稲村先生はラウテの暮らしや歴史に興味をもっています。ラウテは狩猟生活だけで自活しているわけではありません。宿営地を訪ねると、木工作業をしているのがわかりました。ラウテは木地師なのです。製品は鉢や箱などで、これらを農村で穀類と交換していました。つまり、かれらは狩猟だけに頼って自給生活をするのではなく、農産物を得ながら移動生活を送っているようです。従って、農村との交易がなければ生活は成り立たず、ラウテが狩猟民だといっても、その起源は古いとは限らないだろうと想像しました。だとすると、いつ、どんな人たちが、今のような生活をするようになったのか、その起源は農民だったのか、カースト制度との関係はどうだったのか、土地所有や従属の縛りから離れた現在の生活をどうやって作ったのか、といった疑問が湧いてきます。キソルさんと稲村先生の研究から、答えが明らかになるように願っています。

 私たちが訪ねたとき、グループはふたつに分派して、別々の宿営地で狩猟をしていました。こうした分派は季節的に起こすそうで、やがてまたひとつに合体するという話でした。グループのリーダーや構成メンバーが変化するようですが、その実態はまだよくわかっていません。

 ラウテをとりまく環境は変化しているようです。かれらに会いにゆく途中で農民から苦情を聴きました。ラウテが森で勝手に木を切って木工製品を作っていることへの不満でした。かれらに土地所有の認識はないようです。また、宿営地まで案内してくれたNPO団体の職員からは、子供たちが勉強できるよう定住生活を働きかけていると聴きました。

 2つの宿営地で話が聴けたのは収穫でした。しかし、かれらは私たちに好意的ではなく、その生活を知るのは簡単でありません。訪ねたとき、前日に赤いサルを20匹捕まえたと聴きましたが、見せてはもらえませんでした。狩猟は男たちの仕事だそうですが、その方法を教えてもらえませんでした。野生動物を食物資源として利用しているわけですから、捕り尽くすことはないと思い、一度に捕える頭数を聴いてみると、最大で一度に60匹捕まえたことがあるとの話でした。これは、一群を丸捕りする数です。小さいサルは食べないようにするが、獲物が少なければ小さくても食べると聴きました。かれらが巡る山々にサルがどれほどいるかわからないので、これからも狩猟が続けられるか、疑問に思いました。

2009.8.2. 文責 川本 芳


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