研究こぼれ話7

眠り薬を探して - 野外調査と麻酔薬



写真1: ワオキツネザル 
Lemur catta

(マダガスカル・ベレンティ保護区にて)


写真2:ヴェローシファカ
 Propithecus verreauxi
(マダガスカル・ベレンティ保護区にて)

野生動物を調べる方法はいろいろです。直接観察やビデオカメラなどに収録した映像資料をもとに行う研究があれば、捕まえて動物の体を調べる研究もあります。捕まえた動物の大きさや重さを計ったり、遺伝子や病気の分析に使う血液や糞などの試料を採る作業は、麻酔を使って動物を眠らせないとうまくゆきません。信頼できる計測値を得ること、採血などが安全にできること、が眠らせる理由です。国内外で野生霊長類の捕獲調査をしていますが、捕獲から得られる情報は、基礎研究や保護管理に役立っています。アジアやアフリカの野生霊長類を捕えて調べていますが、最近困っている問題があります。それは、動物を眠らせるのに使う麻酔薬の問題です。今回はこの話を紹介します。

 調査では塩酸ケタミン(商品名:ケタラール)という薬品を麻酔に使ってきました。この薬を筋肉に注射すると、サルたちは数分で眠ります。涎(よだれ)を出したり、力が残ったりすることもありますが、計測や採血に便利でよく利用してきました。2年前に法律の改定でこの薬が麻薬に変わりました。許可をもらえば研究には使えます。しかし、役所の指導は厳しく、保存場所や使用簿など、ルールを守らないと麻薬不法所持で捕まってしまいます。急に麻薬に変わったのは、この薬を遊びに乱用する人たちをなくすためです。研究には迷惑な話ですが、危険を防ぐには仕方ありません。許可は2年ごとに更新して、保管状況や使用記録の検査を受けています。


写真3:チャイロキツネザル.ベレンティ保護区では
人が導入した2種が交雑している.(マダガスカルにて)


写真4:アカゲザル(Macaca mulatta
(バングラデシュにて)

 麻薬指定は、日本だけでなく海外でも広がっています。日本の許可をもっていても海外では通用しません。塩酸ケタミンの麻薬指定は、海外調査で深刻な問題を生みはじめています。

 8月にマダガスカル、10月にバングラデシュで捕獲調査をしました。今回は海外共同研究者に頼んで、塩酸ケタミンを探してもらい、合法的に利用できました。マダガスカルは南アフリカの製品、バングラデシュは自国製品でした。先々のことを考えると、塩酸ケタミンなしでサルたちを眠らせる方法を探さないと困るので、違う薬も試験してみました。
 京都大学霊長類研究所の宮部貴子博士(獣医学)に教えていただき、塩酸ケタミンを使わない方法をマダガスカルの3種類のリーマー(ワオキツネザル、ヴェローシファカ、チャイロキツネザル)(写真1,2,3)とバングラデシュのアカゲザル(写真4)、そして11月にはニホンザルでも試しました。いずれも、飼育されたものでなく、野生の動物でした。


写真5. 麻酔したワオキツネザル.


写真6. 麻酔したヴェローシファカ.

 試した麻酔は塩酸メデトミジン、酒石酸ブトルファノール、ミダゾラムという3種類の薬を混ぜて使う方法です。これらを混ぜて筋肉注射すると、眠らせることができました(写真5,6)。コストは塩酸ケタミンだけよりかかりますが、麻薬を心配しないで調査ができます。一方、この方法だと筋肉が弛緩して、全身に力が入らなくなります。体を計ったり(写真7)試料を採る(写真8)には都合がよいですが、吹き矢や麻酔銃で投薬するときは、木から落ちる心配があるので、注意が必要です。必要な場合には、大きな布を用意して、落下する動物をキャッチするようにします(写真9)。


写真7:麻酔したアカゲザルの計測.
写真は京大霊長研の濱田穣さん
.


写真8:麻酔したニホンザルからの試料採取.
写真は京大霊長研共同利用研究員の大橋正孝さん.

 


写真9. 布を持って落下に備える.(マダガスカルにて)


写真10. 麻酔したニホンザル.

 野外で調べるとき、他にも心配なことがあります。麻酔したサルはすぐに覚めません(写真10)。計測や採血が済んだあと安全に戻すには、眠りからしっかり覚まして放さないといけません。サルを獲物にする動物がいる場所では、十分に回復するまえに放すのは危険です。暗くなって森に放すわけにもゆきません。調査に時間がかかり、覚醒が遅れるときは、一晩泊めて翌朝に放すこともあります。こういう心配を解消するのに、拮抗薬があります。この薬には麻酔薬のはたらきを消して、動物を早く眠りから回復させる作用があります。塩酸ケタミンには拮抗薬がないので、サルが眠りから覚めるのをひたすら待つか、塩酸メデトミジンと混ぜて眠らせ、塩酸メデトミジンの拮抗薬を使って覚醒を早めていました。

 今回試した3種類の薬にはそれぞれに拮抗薬があります。塩酸メデトミジン(商品名はドミトール)には塩酸アチパメゾール(商品名はアンチセダン)、酒石酸ブトルファノール(商品名はベトルファール)にはナロキソン塩酸塩(商品名は塩酸ナロキソン)、ミダゾラム(商品名はドルミカム)にはフルマゼニル(商品名も同名)、が拮抗薬です。

 マダガスカルでは①塩酸ケタミンだけ、②塩酸ケタミンと塩酸メデトミジンの混合、③新しい方法、をくらべるため、ワオキツネザル26個体を眠らせてみました。3つの条件のいずれでも麻酔でき、①だと筋弛緩がないことに加えて盛んに脱糞がみられました(これは捕まえた時間に糞がたくさんあったのが原因かもしれません)。新しい方法でも他の方法と大差なく眠りましたが、少し体温が他の条件より下がる傾向がありました。一方、新しい方法で拮抗薬の効き方は文字通り"目覚ましく"、投薬して数分で走り出し、あわてました(写真11)。バングラデシュのアカゲザル調査でも、眠ったサルを計測で順番待ちさせたところ、急に覚醒して走り出すことがありました。塩酸ケタミンだけの麻酔ではこういう経験がありません。拮抗薬がなくても、新しい方法では覚醒が急に起きるようです。その後は注意して眠ったサルの動きを監視するようにしました。拮抗薬のおかげで、作業を終えてから短時間で放せるようになりました。拘束時間が短いことは、サルにとっても私たちにとってもありがたいことです。


写真11. 麻酔から覚醒するワオキツネザル. 拮抗薬を射つ前(1)、覚醒開始
(2-4)、起き上がり走り出そうとする(5-6).(マダガスカルにて)

 

 マダガスカル、バングラデシュ、日本で試して、新しい方法の効果と安全性がわかりました。麻薬になった塩酸ケタミンを使わずに、眠らせ、覚まし、戻す、という目処がたちました。①投薬直後に落下事故がないようフォローすること、②長く待たせるときは急な覚醒に注意すること、が今回の野外調査から学んだ注意点です。

 野生動物の研究では、観察だけでなく捕まえて調べることも重要です。動物にできるだけ負担をかけず、安全に作業し戻すことが肝心です。麻酔法を更に点検し、改善しながら、研究に活かしたいものです。

2009.12.3. 文・写真 川本 芳


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