研究こぼれ話9

ヒマラヤのウシから見えてきたこと


 総合地球環境学研究所の研究プロジェクト『人の生老病死と高所環境-「高地文明」における医学生理・生態・文化的適応』(リーダー 奥宮清人先生)に参加し、ここ数年ヒマラヤ山岳地帯に暮らす人と家畜の研究を続けています。このプロジェクトではすでにブータンやアルナーチャル・プラデシュ(ブータンに隣接するインド東北部のヒマラヤ山岳地帯)に多数のメンバーが調査に入っています。ヒマラヤの農民や牧民を訪ねて集落やキャンプに行くと、そこにはあたりまえにウシがいます。ウシたちの姿を眺めると、低地でよく見るインド系の瘤(こぶ)のあるウシ(ゼブー)に似たものの他に、肩が盛り上がり、角が太くて短く、額が大きなウシがいます。かれらはウシの仲間ですが、ウシとはちがうミタンという家畜かその雑種です。ミタンは地域によってガヤール Gayal(インド)、シア Sia(ミャンマー西部)、デュロンDulong(中国雲南)と呼ばれ、学名ではBos frontalis として区別されている動物です。インドの場合、BengaliやHindiではGayal、AssameseではMithunと呼びます。日本語ではミタンと書きますが、英語では Mithun、Mithan、Mythunと違った綴りが使われることがあります。

 以前(研究こぼれ話4)にも紹介しましたが、ミタンは謎の多い家畜です。その原分布地は、インド(Arunachal Pradesh、Naga Hills、Manipur、Lushai(Mizo)Hills)、ミャンマー(Chin Hills、Arakan Hills)、中国(Yunnan)、バングラデシュのChittagong Hill Tractsをカバーしています。ブータンにはもともとミタンがいませんでした。ブータンにミタンを供給してきたのはアルナーチャル・プラデーシュです。Simoons and Simoons (1968) は、1800年にSamuel Turnerが出版した1783年のチベット旅行に関する記述に、"a more eastern part of the same range of mountains"から運ばれてきたミタンの闘牛観戦があるのを引用し、それはNorth-East Frontier Agency of India(現在のアルナーチャル・プラデーシュ)からの輸入だと想像しています。少なくとも200年以上にわたり、アルナーチャル・プラデーシュがブータンにミタンを供給し、ブータンがそれを利用してきた結果、現在ブータン各地でウシとの交雑が起きています。2007年の飼養統計(Ministry of Agriculture, Bhutan 2007)では、ミタン 1,865頭、在来牛(Nublang)208,783頭、に対してミタン交雑牛は48,755頭です。これら以外のウシには、ヤク51,500頭、ヨーロッパ品種牛(JerseyとBrown Swiss)1,370頭、ヨーロッパ品種交雑牛59,126頭がいます。ブータンの農村や森林で見るウシには実に交雑個体が多く、ミタンとヨーロッパ品種が関係した交雑個体の合計は107,881頭に達し、ほぼ3頭に1頭のウシが交雑ということになります。

竹林でのミタン放牧
(2011年2月8日 Nakhu, Arunachal Pradeshにて川本撮影)

 

 ミタンの交雑が好まれるのは、特に交雑1代目(F1)が雑種強勢として知られるように搾乳や使役に有用だからです。交雑で産まれる牡には繁殖力がありません。この点はヤクでも同様です。同じ交雑利用という観点から考えると、ブータンでのミタン交雑はF1以外の交雑ウシが当たり前にいるのが特徴といえます。ネパールのヤク交雑ではトランスヒューマンス(季節的な移牧)を行い、限られた草地資源を活かすために、戻し交配で得る後代の交雑個体を残さない畜産が行われています。パーフォーマンスの低いウシに食わせる草はないという厳しい自然環境が原因です。ヤクが高地に適応し、草を食べる動物であるのに対して、ミタンはヤクほど高い標高に暮らすわけでなく、草も食べるが森で葉を食べることが重要だと思います。ブータンやアルナーチャル・プラデーシュにおけるミタン放牧は、ヒマラヤの他地域の草食獣放牧とだいぶ様相が異なります。動物を放つ環境が山地に広がる草地とは限らず、森であるのを観ると違和感を覚えます。草食獣の採食生態特徴からみると、かれらは基本的にグレーザー(grazer:禾本科などの草を食む動物)ではなくブラウザー(browser:木本類の葉を食む動物)です。ヤクの交雑利用との違いから、ミタンがもつ放牧地の標高帯の違いと採食生態の特徴が、ブータンやアルナーチャル・プラデーシュで独特の家畜利用を可能にし、それに根ざしたユニークな生業や文化を形成していったようです。そして、ブータンの畜産にみられるミタンの交雑利用では、さらに殺生を嫌う宗教を背景にした独自の歴史があるように思います。

仔牛の遺体(毛皮)の前で搾乳を待つヤク1代雑種ゾム
(2010年3月20日 Kipzib, Soluにて川本撮影)

2011.7.15 文責 川本 芳

 


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