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研究こぼれ話6

『藁苞(わらづと)の厩猿』 奥州市「牛の博物館」の活躍

 


写真1:奥州市前沢で見つかった藁苞の厩猿
(「牛の博物館」にて川本撮影)

写真2:岩手県の旧厩舎に残る厩猿
(一関市農家にて川本撮影)

 厩猿(うまやざる)の話題は今回で3回目です。東北地方の調査経過について紹介します。

 岩手県南部の奥州市に有名な博物館があります。その名を「牛の博物館」といいます(館長は山岸敏宏先生)。町村合併で奥州市になる前は前沢町で、町立博物館でした。北上川を臨む丘に建つこの博物館は、和牛の高級ブランド「前沢牛」に関係する展示だけでなく、牛や他の家畜に関係した豊富な展示で、市立施設としてトップクラスの博物館だと思います。

 常設展示に加えて企画展示も充実しており、2004年の申年を迎えるときに、「家族で楽しむ企画展2004お猿さん」が開かれました。このときに、牛馬の守護祈願に猿を祀る風習を紹介しようという話になり、厩猿が注目されました(厩猿については、こぼれ話1を見てください)。前沢を起点に、このときから岩手県南部で厩猿の発見が続いています。博物館の黒澤弥悦さんが中心となり、民俗学の中村民彦さんと三戸幸久さん(霊長類研究所共同利用研究員)、形態学の毛利俊雄さん(霊長類研究所進化形態分野)と遺伝学の私が調査に参加しています。

 2009年6月27日には、「牛の博物館」で"全国厩猿シンポジウム- 岩手・奥州市での厩猿の発見から見えてきたことを中心に-" が開かれ、前沢で新たに発見された藁苞(わらづと:藁にくるまれた)の厩猿が紹介されました(写真1)。かっては各地にあった民間信仰で、サルの頭蓋骨や手が畜舎や家の門口に祀られてきました(写真2)。私たちの調査では、全国の発見例が80を超えました。その多くが岩手県などの東北地方で発見されています。信仰の意味は、地域により違いがあるようです。祀られているのは、頭蓋骨と手(前肢)です。頭蓋骨を藁にくるんだ例は少なく、今回発見された前沢以外では、これまでに秋田県の由利本荘市で一例見つかっています(写真3)。


写真3 秋田県由利本荘市で見つかった藁苞の厩猿の初例
(川本撮影)

 厩猿の遺伝学調査には、悩みがあります。遺伝子を使い元々どこにいたサルかを調べるには、標本を壊さないと調べられません。分析では骨の中に残っているDNAを抽出します。消えゆく信仰の証である骨を、文化財として残して欲しいと思う一方で、研究で破壊するのです。当初は、破壊を嫌って筋肉や皮膚があれば、それを使っていました。しかし、分析がうまくゆかないことがわかってからは、歯を使うようになりました。歯を一本外して、外から見えない根元(歯根部)だけを削るようにしてきました。上に出ている見える部分(歯冠部)は壊さず戻そうとしましたが、歯根部を削りすぎると、思うよう戻せないこともありました。歯は外さずに、外観を損なわないで何とか骨の粉を削れないかと考えるようになりました。
 「牛の博物館」に寄託された藁苞の厩猿は、ミイラ状に頭の皮がしっかり残っていました。オトナのオスで、めくれた下唇の皮膚の間から、顎と歯の一部が見えていました。上下の顎が皮膚に覆われていたので、歯を抜いたり、口が開けられる状態ではありませんでした(写真4)。


写真4 皮膚が付着した厩猿

写真5 骨粉採取のあと外観を復元した厩猿

 骨を削るときは、ガラス工芸用のミニドリルを使います。削る場所に応じて、ドリルの刃先は変えられます。適当な刃を選んで、めくれた唇から見えている顎の骨をトンネル状に掘り、歯根部も削るように骨粉を採りました。穴の直径は約5ミリメートル、掘った長さは1センチメール足らずでした。削った骨粉は脱灰処理の液に入れました(詳しくはこぼれ話2を見てください)。骨粉を採ったあとに残った穴は、石膏で埋めて隠し、形を復元しました(写真5)。このやり方だと、歯冠部を傷つけずに作業ができます。
 試料採取で注意が必要なのは、異物の問題です。特に、標本をさわった人たちのDNAが混じると、実験に影響が出ることがあり厄介です。削る場所をきれいにするだけでなく、ポータブル紫外線ランプを持ってゆき、骨に紫外線を照射して、付着したDNAを壊すようにしました。骨の表面にあるDNAが壊れても、骨の中からDNAを採るので、分析には影響しません。

 幸いにも、前沢の藁苞の厩猿から抽出したDNAは分析できました。地域の違いがわかるミトコンドリア遺伝子で、現在生きているサルと比べたところ、東北地方の奥羽山系に広く分布するタイプと一致しました。東北地方では、岩手県南部の五葉山のサルたちが、他所と違う遺伝子をもっています(こぼれ話2を見てください)。前沢に近い場所ですが、今回の厩猿は北上川の東側にある五葉山や北上山地とは関係がありませんでした。また、奥羽山系タイプといっても、遺伝子配列の違いから山形県や宮城県の金華山のサルとは違うタイプだと確認できました。
 厩猿の形状により、またDNAの保存状態により、いつも同じように結果が出せるとは限りません。しかし、これまでの調査方法にくらべると、何よりも資料の外観を大きく損ねずに分析できたのが収穫でした。これからも標本をできるだけ破壊しないよう工夫し、民俗資料として残したいと思います。調べがついた藁苞の厩猿は、原型に近い形で「牛の博物館」に保管されています。

 6月のシンポジウムのあと、さらに2例の情報が博物館に寄せられ、7月末に調査しました。これで、奥州市だけでも見つかった厩猿の総数は11になりました。「牛の博物館」が精力的に調査や情報活動を進めた結果で、すばらしい成果です。関係者の間では、人知れず旧厩舎の隅に祀られたままのサルが、まだ残っているのではないかと話しています。黒澤さんによると、「牛の博物館」には大工さんが連絡をくれるとのことです。古い厩舎や家屋の改修で呼ばれたときに、見た記憶があるという情報だそうです。現場に行きインタビューすると、住民はサルの存在を知らないということもあります。大工さんの目が届かなければ、忘れられ、消えるだけだったかもしれません。「牛の博物館」は、牛馬にまつわる民間信仰の再発見を通じて、人間と動物の関わりの歴史を紹介し、消えかかっていた厩猿の文化財的価値を地域や社会に啓発しています。この博物館の活躍に感服しながら、調査に参加しています。

2009.8.14. 文責 川本 芳


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